気が付けば4半世紀、嬉しい時も悲しい時も蛇喜猫賀とともに過ごし、今や完全に体の一部となりました。
そもそも蛇喜猫賀とは、ふるさとの山河、人々の祈りや願いをテーマに書き上げた鬼才中川晶一朗の楽曲を紙三味線や民族楽器、シンセサイザーと声を使い独特な音律で表現した音楽実験ユニットでした。「音楽の本当の本当は、そこに出現を願い期待した音が、背景や沈黙の中に姿を現すもの」と中川さんは語ります。通常の演奏活動のみならず、高麗神社奉納公演、野神楽山むすべ参加、鶴ヶ島市おれらのリューダ祭の企画制作、パプアニューギニアとの交流など、活動は多岐にわたりました。残念なことに芸術監督などマルチな才能を発揮していたリーダーの中川さんが、2008年10月1日に他界。蛇喜猫賀は活動休止となりました。「音魂」時間を経てもなお輝き続ける蛇喜猫賀の楽曲。気が付くと「蛇喜猫賀の曲を復活したい」私はそう願うようになりました。そんな時中川氏の次女中川るみさんから「お父さんの唄を歌いたい」との言葉。早速未発表曲の録音を2010年スタート。紙三味線をカリンバ(親指ピアノ)に持ち替え、あの世とこの世のセッションは始まりました。2011年東日本大震災を期に、この困難な作業の意味を確信しました。気が付けば、中川さんが撒いた種があちこちから芽を出していまた。多くの人々の想いを支えに、CD「水よ自由に」は6年越しで完成しました。ここに至るまで支えてくれたの関係者の皆様、そして中川さん、本当にありがとう。どこまでも感謝しかありません。 蛇喜猫賀主催 高田淳子